人を信じるということは、とても難しいです。
そんなことを感じたことがありました。
サッカーでの出来事。
先日、息子のサッカー公式戦がありました。
息子は、ここ最近のいろんな疲れが溜まったのか体調が悪く、いつもはスターティングメンバーが多いのですが、監督にベンチスタートを申し入れしたようです。
確かに見ても調子が悪そうなのでベンチにも入らず、日陰で休んでいた方がいいようにも思いましたが、息子が自分で決めたことなので見守っていました。
もしベンチから出るのであれば、自分の意志、もしくは監督の判断に任せるのが筋なので。
考える機会を奪っていませんか。
しかしお母さんたちからすると、ちょっと判断基準が違います。
「子どもは基本的に判断ができない。」と考えるので、「休むか休まないか」は親が判断すべきだと考えます。
さらにベンチに入ってからも、炎天下なのでちゃんと頭を冷やしているのかしら、水筒飲んでるかしらと心配して、遠くから声をかけようとします。
もちろん低学年であればそうかもしれませんが、息子たちは5年生。
確かに、心配なのはすごくよくわかります。
自分の息子だけは、人の子と事情が異なるというのもよくわかります。
しかし、体調管理や意思決定を親がしていたら、いつまでたっても自分でできません。
自分で考えさせる。
本人は、何とかして試合に出たいし、チームの勝利に貢献したいと考えつつ、自分の体調と相談しながら判断しています。(息子は、そこまで深く考えていないと思いますが)
その判断を親がしてしまうというのは、子どもの判断の機会を奪っていることにもなりますし、子どもの判断を信じていないことになると思うわけで。。。
高学年になれば、自分の体調、自分が調子が悪くて倒れることによるチームや周りへの影響を考えるべきです。
親はつい口出ししたくなってしまうんですが、子どもの判断を信じて、ギリギリまでは見守ることが役目です。
・・・ってことを考えていたら、息子はただの車酔いだったようで、すぐにピンピンしていました。
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