僕自身、suicaのオートチャージにして早2年。
自動改札で自動的にピピッとチャージされる表示を見ていつも思うことがあります。
自動改札で前のめりになる人を見て。
時折、JRの改札口で「ピンコーン」と無残に出口を閉められ、膝から倒れ掛けそうになる人を見かけます。
その人は、後ろの人の冷やかな視線を受けながら、仕方なくチャージをしにスゴスゴと戻って改めて改札を出る訳ですが、ボクもその昔同じようなことをしていました。
改札に引っ掛かってから出るまでの時間は、約3分程度。
この3分という時間は、人によってはちょっと我慢できる時間です。
オートチャージを見て、仕組み化を意識する。
改札に引っ掛かって、チャージして、改札を出るという3分は、たかが3分、されど3分。
さらに相手がいれば、その相手の時間も奪うことになります。
この時間が積み重なれば、大きな時間の塊になります。
「この3分を気にしないで放っておくか、改善するか」は、小さいようでとても大きな意識の差です。
仕組み化するとは難しいものではない。
ピピッとチャージされるのを見て、ボクはいつも反射的にこう考えます。
「これが仕組み化の一歩だ!」と。
カードを申し込むのは面倒ですが、それさえすればもう煩わしいことはなくなります。
SUICAをオートチャージにすることで「自動改札で引っ掛からない仕組み」を所有し、さらにチャージされる表示を見て「仕組み化を意識する仕組み」を持ち、「他にも何か仕組み化できないかなあという視点を持つ仕組み」を所有した訳です。
「仕組み化」と言うと何やらカッコ良くてすごいもののような気もしますが、こういう意識が【仕組みを所有する】ための一歩な訳です。
ブログも「一日一回、自分の考えを文章化する仕組み」であり、「何も考えずに毎日を過ごすことを防止する仕組み」であり、「すぐにラクしてサボりたい自分を自制する仕組み」を所有しているとも見ることができます。
「仕組み化する」というのは、ちょっと我慢できることを無くす意識から始まるのかもしれません。