人は、大なり小なり修羅場や試練をくぐっています。
人それぞれ、仕事での修羅場、家庭での修羅場、はたまた学生時代の部活動での修羅場などさまざまな修羅場があったと思います。
それらの修羅場を経験したことで、みなさん大きな成長を遂げていると思います。
先日、家の本棚を片していたら、息子が小学生の頃に読んでいた「ファーブル昆虫記」がありました。
ファーブルさんと言えば、昆虫大好きおじさんの「ファーブル」さん。
ボクの中では、ファーブルさんというとこの名言がアタマに浮かびます。
「人生のつらい試練は、どこかで説明がつくはずだ」
ファーブルさんは、3歳でおじいさんの家に預けられ、6歳で家族のもとに戻り、お父さんの商売が失敗し、14歳で一人で生きていくことになり、その日暮らしの中で、もくもくと勉強をして、15歳で一番の成績に学校に入学という、修羅場をくぐってきた人。
修羅場を文章で書けば数行で済みますが、きっとボクには想像のつかない大変な想いをしたことは容易に想像できます。
こうした修羅場をくぐると、それは自分の中の経験値でひとつのモノサシとなります。
大きな修羅場をくぐればくぐるほど、ちょっとした修羅場や試練は気にもならなくなります。
そのレベルまで行くとQOLが上がるので、そう、修羅場って最高ですね。
ただ、その渦中にいるときはそんな風に考えられないけど。。
修羅場に必要なのは、その先の希望なのかもしれません。