オトナのたしなみとしての自責思考。
「人生をより良くするには、他責思考より、自責思考がいいよ」とよく言われます。
ただ、自責思考を履き違えると、ちょっと面倒なことも起こります。
例えば、ボクの場合。
良い悪いは別にして、自分のキャパを超えた仕事が降ってきたり、各方面から無理難題を言われたとき。
自責思考を発動して、「ああ、自分の能力が無くてできないから、自分が悪い。だから、何とかしなきゃ。」となったことがありました。
そう、相手が求めることができないのは、すべて自分の責任だと考えてしまい、結果、自分を追い込むことになったことがありました。
自責思考は、モノゴトがうまくいかないときに、自分に原因があると考えるもの。
過去と他人は変えられませんから、「あいつのせいだ」「社会のせいだ」「自分以外のせい」かもしれないけど、それを言ったところでどうにもなりません。
「自分はこんなに頑張っているのに、なんで評価してくれないんですか?」というのは、よくある他責思考の言動ですね。
なので、「自分に原因がある」と考えて、自分ができることを探して、自分で変えていくことができます。
なので、「自責思考を持った方が良い」となるわけですが、ボクのように、必要以上に自責思考でモノゴトをとらえてしまうのもどうなのか、と。
となると、ボクの自責思考の定義は、ちょっと間違えていると思ったので、自分なりの自責思考を見直してみました。
そこで考えたのが、自責思考と他責思考を持ちつつ、最終的に当事者意識に着地させる。
今回のボクのように、明らかにキャパオーバーをしているときに自責思考に頼ると、自分を追い込むことになる可能性もあります。
なので、ちょっとだけ他責思考を持って、「いやいや、これ、自分のせいだけではないし、そんなことをいう相手が悪いっしょ。」と原因を他人になすりつけてみたりして、自分の気持ちを整理します。
そして、ちょっと気持ちを整理出来たら、そこから、「当事者」としてこれからできることに取り組むことを考えましょう。
「あいつのせいだけど、そうは言っても、この出来事には深い意味があるのかもしれないし、これを乗り越えたら、めちゃくちゃパワーアップするかもしれないし、意外とおもしろいことにつながるかも!」と考えて、当事者意識を持ってみる。
つまり、自分のせいじゃないから何もしないのではなく、自分のせいじゃなくても、目の前のことに対して自分でできることを考えて、主体的に取り組む当事者意識を持つことが大切ってことですね。