我が家の子供たちが使う言葉で、聞いたことがないものがありました。
それが、「はず!」です。
「はず!」は、「はずい!」を短くしたもので、「恥ずかしい」の意味だそう。
例えば、友達かと思って声をかけたら、全くの別人だったときのようなときに「なにそれ、はず!」みたいに使うらしいです。
なるほど、そういうことなんですね。
で、ふと、最近、自分の中で「はず!」ということがあったかと思ったわけです。
そういえば、あんまり恥ずかしさを感じなくなってしまったなぁと思う次第で。
しかし、実は、自分が「はず!」と感じていないだけで、傍から見ると「はず!」と思われているかもしれない言動があるかもしれないわけです。
例えば、新しい仕事ややったことのない仕事を振られたとき、どう答えますか?
こういう仕事は、うまくいくかわからないもの。
そんなときに「やります!」と言ったらさいご、できなかったら周りに迷惑がかかるし、自分の評価も下がるし、「はず!」となるもしれません。
そして「はずい」のは嫌だから、最初から言い訳を考えたり、逃げ道をつくるのに力を注いだり、最初から手を上げない人もいます。
ボクもその気持ち、よくわかります。
でも、この考え方自体が実は「はず!」なのかもしれませんよね。
こういう場面で、逆に即答で「やります。」と言える人もいます。
うまくいくかいかないかは、やってみなければわかりません。
やったことがないことが、できない理由にならないことを知っている人です。
「やる」と決めてから方法を考えて、「やれる」方法を編み出していく訳です。
もちろん、できなくて「はず!」となることもあります。
けれど、「やります!」とチャレンジしてできなかった人と、「はずいのが嫌だから、最初からやらない」という人、どちらが「はず!」なのでしょう?
わかりやすい「はず!」は前者と思うかもしれません。
しかし、チャレンジして「はず!」と感じれば、それを改善して、成長できます。
一方、やらない人は、何もしていないから「はず!」ともなりませんし、何の成長にもつながりません。
なので、長い時間軸で見ると「はずい」のは後者ですし、その後の人生においてシャレにならない「はず!」となるのは後者の可能性が高いわけです。
自分もシャレにならない「はずい人間」にならないように気をつけます。
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