自責思考と他責思考。
社会人として持っておくべき方、そして人生をより良くするには、自責思考がいいよね、ってよく言われます。
なので、ボクも上司ぶって、部下に「自責思考が大事だ!」と言ったりします。
ただ、自責思考を履き違えると、ちょっと面倒なことも起こります。
例えば、先日、こんなことがありました。
ビジネスの場面で、相手から無理難題を言われた部下。
それに対して、自責思考を発動して「ああ、自分が悪いんだ。」となり、相手が言うことに対して、すべて自分の責任だと考えて、追い込まれたことがありました。
「おいおい、それは自責思考ではないんじゃない??」とツッコみつつ、「自責思考って一体どうやって説明したら良いんだろう?」と考えたわけです。
自責思考は、モノゴトがうまくいかないときに、自分に原因があると考えるもの。
最初に「自分に原因がある」と考えれば、自分で分析できて、改善するためにできることができます。
一方の他責思考は、モノゴトがうまくいかないときに、自分以外のせいだと考えるもの。
何かあると、「あいつのせいだ」「社会のせいだ」と考えて、相手を攻撃したり、自分でできることを模索しないことにつながるので、確かに「自分以外のせい」かもしれないけど、それを言ったところでどうにもならなりません。
よく「自分はこんなに頑張っているのに、なんで評価してくれないんですか?」というのは、よくある他責思考の言動ですね。
なので、「自責思考を持った方が良い」となるわけですが、今回のケースは必要以上に自責思考でモノゴトをとらえてしまったわけで。
自責思考を必要以上にしてしまうと、自分がすべて悪いと考えて「ああ、自分はなんてダメなヤツなんだ~」と自己嫌悪に陥らせる可能性もあるんだなぁと思った次第で。
となると、ボクの考える自責思考は、
まず、そのモノゴトに感謝する(ありがたい作戦)。
これは、さまざまなモノゴトに対して、とにかく「ありがたい」と唱えて、「何がありがたいのか?そして、このモノゴトが何かのネタや未来への成長の糧になるか?」を無理やりにでも自分のアタマのなかで考えさせる作戦です。
次に、客観的に見て自分が悪いことは、まず素直に謝る姿勢を持つ。
けれど、悪くないなら、謝る必要はないですよね。
ちょっと他責思考っぽいですけど、必要以上に自責思考で考えてしまう必要はないので。
ただ、ここで終わってしまうと、自責思考と他責思考が入り乱れてしまうので、できるだけ自責思考で着地させる必要があります。
そのために最後は、当事者としてこれからできることに取り組むことを考えましょう。
「そうは言っても、この出来事には、実はメチャクチャ深い意味があるのかもしれない。あいつのせいだ、こいつのせいだという部分もあるけど、自分で何とかしたいし、どこか工夫できるところはないかな。そして、この局面を脱したら、もっともっとおもしろいことが待っているかもしれない!」と考えて、当事者意識を持つようにするわけです。
自責思考からスタートして、ちょっと他責思考をして、最後は当事者意識に持っていく。
これが、自責思考なのかなぁと思った次第です。
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