会社でこんな話を聞きました。
よくある人の評価の話です。
ある時、Aくんは、とある部署に異動しました。
その部署は、会社の中でも新しいチャレンジとしての位置付けで、未知数。
そこに異動をしたAくんは、結果的に成果を残して、活躍できました。
すると、周りはこう言います。
「あれは、Aくんに才能があったからできた。」と。
一方、Bくんも同じように、ある部署に異動しました。
Bくんの評価は良く、期待もされていましたが、結果的には思うような成果は出せませんでした。
すると、周りはこう言います。
「Bくんは、A君のような才能が無いからダメだった。」と。
こういう話はよく聞きますよね。
「成果が出せたのは、才能があったから。」と聞いて、なんとなく「そういうもの」と感じるかもしれません。
しかし、よく考えてみると、「才能があったから」と言われるのは成果を出せたからであり、「才能がなかったから」と言われるのは成果を出せなかったからです。
ということは、才能があるかないかは、成果が出たか否かで決まるのであって、才能があるかないかなんて誰にもわからないわけですよね。
評論家が結果を見て、うまくいったら「そのやり方は、すばらしいですよね。」と言い、うまくいかなかったら「あのやり方では、ダメですね。」と言うのと同じです。
つまり、結果を見て、「あーだ、こーだ」言って、できた理由を「才能」のせいにしてしまうのは、何も考えていない、つまり、それだと思考停止しているだけです。
Aくんは、成果を出すために必死に努力をしていただろうし、Bくんだって、上手くいかない中で必死に頑張っていていたかもしれないし、それを「才能の有無」の一言で片づけてしまうよりも、成果が出せる「才能」を開花させてあげる手助けをすることの方が
「才能があったから」という思考停止の人を見て思うのは、「外野は黙っておけ」ってことですね。
・・・って言うボクがそうだったので、気を付けます。
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