誰もがシアワセになりたいと思っています。
しかし、その中の多くの人が、なかなかシアワセになれません。
そして、「ああ、シアワセになりたい!」と悩みながら、日々を過ごすわけです。
すごいよくわかります、ボクもそうですから。
ただ、歳を重ねたせいかなのか、最近はシアワセについて、ちょっとだけわかったことがあります。
それは、シアワセになるためには、シアワセになれないことをやめれば良いんです。
メチャクチャ簡単ですね。
では、やめた方が良い”シアワセになれないこと”って何なのでしょう?
これは、シアワセは人によって異なりますので、「これだ!」という共通解は無いと思いますが、ボクの場合で見てみましょう。
ボクは「シアワセになるためには、努力して成功すればいい!」と考えていました。
ここでいう成功とは、経済的側面、仕事的側面、社会的地位的側面などいろいろなものが混在していますが、それらは努力すれば何とかなるものだと思っていたんですね。
そして、自分なりに頑張って努力して、小さな小さな成功みたいなものをしたときに、一時的にはシアワセを感じることができましたが、すぐにもっと上の成功が気になって、「もっと上の方の成功に至っていない自分はシアワセではない。」と感じてしまい、また「もっとシアワセになるために、もっと成功しないといけないから、もっと努力しないと!」という状態になったことがありました。
ボクだけかもしれませんが、欲望には上限がないんですね。。
で、あるとき思ったんです。
「あれ?シアワセになるために、努力して成功しようとしてるけど、その成功は、自分の欲望のせいでどんどん遠ざかっていて、いつまで経っても成功できないから、シアワセにもなれないじゃん。」と。
もちろん、成功に向かって努力し続ける状態こそが、自分のシアワセならばそれで良いと思いますが、そうでないのであれば、ちょっと立ち止まって考えた方が良さそうだと思ったわけです。
そこで、自分で「う~ん」と考えたんです。
そもそも「自分のシアワセ」って何なのか、「シアワセになりたい」と考える理由は何なのか、「シアワセになりたいというとは、今シアワセでないわけだから、シアワセでない理由とは何なのか」と。
すると、「いやいや、今の状態ってシアワセでしょ?」とひとりツッコミをしてしまいました。
そりゃ、住宅ローンや子供たちの教育費、老後資金といった経済的な不安はありますし、自分の健康も気になるし、ヨメとの小競り合いも、娘の反抗期も気になりますが、それらを差っ引いても自分の考えていたシアワセが目の前にある状態だと思えたわけです。
そう考えると、自分を取り巻く環境や一緒に仕事をしている仲間に感謝をしたくなったんですね。
話を戻すと、シアワセになるためには、シアワセになれないことをやめればいいわけですが、シアワセになれないこととは、今あるシアワセに目を向けないで「ああ、シアワセになりたい」とほざいていることであり、今あるシアワセに目を向けて感謝をすると、たちまちシアワセになれるわけです。
シアワセって何なんでしょうね。
こんなことを考える自分になったこと自体もシアワセなのかも。
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