最近は、若手社員教育をしていて、「どうしたら一緒に仕事をおもしろくできるのだろう?」なんてことを考えながら、朝の出勤兼ウォーキングをすることが日課になっています。
未熟なオッサンのボクが若手社員の教育をするなんておこがましいしと思いつつ、若手社員にとってより良い仕事ができる基礎を一緒につくっていくようなイメージで取り組んでいます。
その中で感じるのは、若手社員はものすごく優秀だということ。
言われたことは一生懸命に取り組むし、期限はキチンと守るし、素晴らしい。
常にサボること、手を抜くことを考えていた若手の頃のボクとはまるで違います。
ただ、自分の基準ややり方に対するこだわりが強い傾向があります。
たまたまなのか、よくある話なのかはよくわかりませんが、ボクが教育している若手社員はそういう傾向があるように思います。
自分の基準ややり方を持つことは、とても素晴らしいことです。
ただ、そもそもその基準ややり方が間違えていたらどうでしょう?
頑張れば頑張るほど、おかしな方向へ行ってしまいます。
若手社員は自分たちなりに、一生懸命仕事に取り組む中で、さまざまな基準ややり方を学んでいきます。
それは、仕事をする上での基礎になるもの。
そこには、ビジネスマナーやコミュニケーションはもちろん、その仕事での段取りやスピード感、情報整理、ビジネス理解などがあり、その上で自分なりの応用をしていくわけです。
サッカーに例えるならば、サッカーのルールを知り、基礎体力をつけて、基本的なパスや動き方をコツコツ身に付けて、試合における戦略やその中での自分の役割を理解し、その中でチームに貢献できるように自分のオリジナリティを出すようなもの。
それなのに、基礎もできていない中で「自分の基準ややり方」を貫いて、独りよがりのプレーをするようなものですね。
こうした場合、サッカーであれば「何してんだよ!」と注意できますが、オトナの社会だと「ああ、あの人はわかっていないんだなぁ」と理解し、そうした人に仕事を依頼せず、上手に距離を取って、関わらないようにするので、本人は気が付けないまま「あれ?なんでパスが回ってこないのだろう??」となるわけです。
ここでボクは悩みます。
ボクはこの歳になると「パスが回ってこない」理由はなんとなく理解できて、若手社員に「基礎は大事だよ」「そもそも、ビジネスマナーや時間軸がズレているから、上手くいかないんだよ。」と伝えても、「いや、自分は頑張っています。」「基礎ができていないというのは、どういうことですか?ちゃんとやっています。」と聞き入れてもらえないんですね。
これは、伝えているボクの信頼がないからに他なりませんが、このままだと基礎も無いままに時間だけが過ぎて仕事を依頼できない人材になってしまう可能性です。
メチャクチャ優秀なのに、基礎を見直すきっかけがないがゆえに、この先おかしな方向へ進んでいってしまう可能性が高いと思うと、何とかしてあげないと、、、と思う次第。
なので、「そのままのやり方で頑張っていても、成果にはつながらないから、無用の人になるよ。」ということを突き付けないといけないわけです。
う~ん、人に何かを教える、教育するというのは、ビジネスをスケールさせたり、戦略を考えて実践するよりもエキサイティングなことだなぁと思った次第です。
【kindle Unlimitedで無料!】
マーケティングの取扱説明書。