休みを制するものは、サラリーマンを制する。
ボクも含めて、サラリーマンのみなさまにおかれましては、今日から年末年始の連休に入る方もいらっしゃると思います。
ただ、ひとつ思うのは、こうした大型連休の過ごし方で、社会人としての差がつくという事実。
休みが来るたびに、そんなことを思うようになりました。
どういうことか。
会社にいると、意識するしないは別として、人と違うことをやらなくなります。
会社の中では、前例や多数や声の大きい人に従う方が、良いか悪いかは別として、とても楽だし、評価もされやすい環境なんです。
人は、ご存知の通り、ラクな方、ラクな方へ行きたがる生き物。
会社では、周りと違うことをやって失敗したらひどく叩かますので、わざわざチャレンジすることはやりません。
ただ、そうは言っても人と同じことをしていては、卓越した仕事はできません。
みんなが仕事を休んでいるときに、同じように休んでいては、差が生まれることもありません。
みなさんも感覚的にわかると思いますが、質は圧倒的な量から生まれます。
人よりも多くの時間やお金を使うことで差がつく可能性が高まります。
スポーツでも同じですよね。人と同じ時間だけ練習しても、上には上がれません。
なので「やっほー、大型連休だぜ~!」といってのんびりするのも良いですが、それを繰り返すことで、3年後に変化はありますか?
おそらく、何の変化もなく、毎年同じような連休を過ごすことになりませんか?
人がやっていないときにやるから差がつくのであって、人と同じようにしていたらボクみたいな凡人オブ凡人のような人間は成長できるわけがありません。
年末年始に少し動いてもすぐに変わる訳ではありませんが、それがボディブローのように効いてきて、そうした思考や行動様式をたたき込むことによって、ある種、変わることへの基礎体力がつくのだと思います。
そして、その方法こそが根本的な部分を治療する唯一の方法であり、人生の短いくも長い時間の中で、複利できいてくるのだと思います。
年末年始、飲み会でストレス発散や癒しもいいけど、”みんなが休んでいるときに動くことに心地よさ”を感じてみると、来年は大きく飛躍できる年になるかもしれません。
【kindle Unlimitedで無料!】
マーケティングの取扱説明書。