努力と聞くとげんなりするから、努力の定義は自分で決める。

投稿者: | 2022年12月2日
努力と聞くとげんなりするから、努力の定義は自分で決める。

「努力しようよ」と言われると、「まあ、そうなんだけどね。」とちょっとモヤモヤするのはボクだけでしょうか?

努力が大切なのは、誰もが知っていることですし。

ただ「努力」と言われると、ボクは「大変そう」とか「苦しい」と感じていました。 

  

「努力」の定義を辞書で調べると

目標の実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。

とあります。

う~ん、「ほねをおる」ということは苦労をしないといけないといけないのかぁと、ちょっと後ろ向きになりそうになりますが、その定義を自分で勝手にちょっと変えてみると、あら不思議、少しだけ前向きになれます。

ということで、努力をするときにボクが、3つの定義を持っています。

 

まずひとつ目は、努力とは未来の選択肢を増やす行為。

「努力するとどうなるか?」ではなく、「努力をしないとどうなるか?」を考えてみましょう。

努力をしないと、嫌なこと、できないことはやらず、今できることだけをやることになります。

野球のピッチャーで言えば、ストレートやカーブはセンスで投げられるけど、足腰のトレーニングだったり、配球の研究をするのは面倒だからやらないと言っていたら、成果を出せなくなり、試合にも出られなくなるというのは容易に想像できます。

パフォーマンスを上げるには、できるようになるために努力することが必要で、できることが増えれば選択肢も広がります。

努力しなければ、その選択肢がどんどん少なくなってしまい、何もできなくなり、人生がおもしろくなくなります。

ということは、努力は【未来の選択肢を増やす行為】ということです。

 

二つ目は、未来を楽にするもの。

ボクは、日々ブログを書いたり、自分の事業を整理してアウトプットしています。

そうすると、ボクの周りのサラリーマンからすると、ありがたいことに”努力しているすごい人”と見られます。

中身は、全く違うんですが。。

ボクがそうしたことをしているのは、そういう努力ができる人間だからではなく、今の凡人のままの自分を放置して何もしなければ、後々何をするにしても、たくさんの努力しなければならなくなるから、とにかく今から少しでも努力をしておけば、後々楽になると思っているからです。

もう一度言うと、努力ができる人間だから努力しているのではなく、後で楽をしたいから、人からは努力に見えるという行為をしているんです。

ということで、ボクにとっての努力は【後で苦しい思いをせずに、未来、楽に結果を出すためのもの】なのです。

 

三つ目は、自分の良いところに出会えるものです。

日々努力をしていると、その過程でいろいろな葛藤や壁にぶつかります。

ほぼほぼ自分のダメなところを露呈することになるんですが、逆に自分の良いところや成長する過程にも出会えます。

ということは、目標を達成する、そういった目標達成のために、悩み、苦しみ、それでも前に進んで、結局失敗することで、逆に、もれなく”新たな自分の良い点”が見つかる特典がついてくるわけです。

そうなると、努力すればするほど、自分の良い点に気が付きまくることになります。

そして、自己肯定感が上がり、「自分、最高だわ~~」と自画自賛の域に達するわけです。

ということで、努力はその過程で【 自分の良い所が見つかるもの】なのです。

 

さて、あなたの努力の定義は何ですか?

 

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