人は、誰しも「シアワセになりたい!」と思っています。
しかし、残念ながら、
「シアワセになりたい!」と言っている人は、
いつまでもシアワセになれません。
その理由は、
シアワセになりたいということは、今は不幸だと思っているわけで、
今持っているシアワセに気が付いておらず、つまりは今への感謝の心が欠けているから、
今自分の手持ちのシアワセを自ら手放してしまい、
不幸になっていくスパイラルにはまるからです。
以前、こんな話を聞きました。
普段は成績の良い子供2人が塾のテストで悪い点を取ったことをお母さんに伝えたとき、
「その親御さんがどう反応するか?」というのを試したそうで。
まずは、A君のお母さん。
「なんでこんな点数なの?ちゃんと勉強したの?
みんなは良い点なんでしょ?なんで、こうなったのよ。
ちゃんとやらないとダメでしょ!これからスマホも禁止だからね!」
と、ちょっと可哀そうなくらい責め立てます。
もう一方のB君のお母さん。
「きっと自分なりに頑張ったんだろうから、おつかれさま。
悔しいだろうから、次のテストに向けて作戦を考えよう!
その前に、元気を出すために美味しいものでも食べに行こう!」
と、労いや励ましの言葉をかけたんですね。
どちらのお母さんが良い悪いではなく、
どちらのお母さんも子供のことを第一に考えていることはよくわかります。
ただ、ここで思うのは、
A君のお母さんにとってのシアワセは「良い点を取ったこと」、
B君のお母さんにとってのシアワセは「子供が頑張ったこと」、
ということもわかります。
A君のお母さんは、良い点を取れなかったからシアワセではなく、
シアワセになるために「もっと勉強しなさい!」と言う。
B君のお母さんは、良い点でも悪い点でも、
子供が頑張っていること自体がシアワセだと考えているので、
頑張ったことを労い、頑張れる環境にあることが既にシアワセだと考えているから、
「おつかれさま。」と相手を励ますことができるわけです。
この話を聞くと、聖書の話を思い出します。
「富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなる。」
この言葉はいろいろな解釈ができると思いますが、
個人的には、富めるものは富めるというのは、
富める人というのは
「今あることに感謝ができて、感謝できるからこそ手持ちのリソースに気が付けて、
そのリソースを活用して成果に結びつけることができて、結果的に富んでいく人」
ということです。
たまたま悪い成績であっても、子供が頑張っていること自体、
実はものすごくシアワセなことです。
「悪い成績だったから、不幸だ」と言っていたら、
良い成績を取ったら一時的にはシアワセになれるけど、
また悪い成績だったらシアワセではなくなり
いつまで経ってもシアワセにはなれないということになります。
それよりも、今、健康で、家族も元気で、最低限の着るものや食べるものにも困らず、
空襲警報に怯えることもなく生活ができていること自体、
ものすごく恵まれていることに感謝する方がシアワセになれそうです。
ということで、
「ああ、私はなんて不幸なんだ。シアワセになりたい。」
と口にして言うことは、
自分の環境に感謝ができないザンネンな人であり、
その人がシアワセになれる可能性は低いでしょう。
人生でも、仕事でも、感謝とリスペクトが大切だと思っています。
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