ブログ再開。膵臓がんの母親の強さに触れて、命(時間)の使い方を改めて考えた。
ブログ更新、再開しました!
ブログ更新をしていなかった理由は、介護中の母親が他界し、ドタバタしてしまっていたから。
個人的には、父親が他界したときよりも母親の方が気持ち的にズーンと落ち込むものだと感じました。
とりあえず、葬儀やいろいろな手続きもある程度落ち着いたので、ブログ再開した次第です。
今日のブログは、ちょっとしんみり。
母親の病気発覚から、他界し、その後のことをツラツラと。
母親は、6月にいきなり体重が5キロ以上減りました。
見た目でもわかるので「なんかおかしいよね。」となりましたが、「高齢で食べられなくなるっていうし、蒸し暑い日が続くから食欲がなくなったのかも」となり、町医者から食欲増進の漢方をもらっていました。
7月になり肺腺癌の疑いがある部分の経過を診るための定期検査でCTを撮ったところ、映像に腹水が映りました。
先生がビックリして、緊急検査入院。
そこで、ステージⅣの膵癌とわかりました。
そこから、抗がん剤治療をしながら、自宅療養が始まったんです。
最初の頃は散歩もしていたし、少しだけ食べることができていました。
しかし、食べる量が少ないので、急にガクッと体力が落ちて、寝ている時間が増えていき、少し動いただけで疲れてしまうようになり、そこからさらに体力が一段、もう一段と落ちていくのがわかりました。
そして、最期の一週間は食欲がさらに無くなり、最期は氷をなめるだけ。
それでも、自宅診療してくださる先生や看護士さん、ケアマネジャーさんとは楽しそうに話をして、まだまだ元気でいられるかもと期待できたものです。
前日までしっかり話すことができたし、トイレも自分で何とかしていましたし。
しかし、土曜日の朝方、容態が急変。
「胸が苦しい」となり、救急搬送。
そのまま、息を引き取ることになりました。
最期まで自宅で過ごせて、膵癌独特の痛みも少なく、周りに迷惑をかけることなく過ごせていたので、ある意味シアワセだったのではないかと思っています。
ただ、そこからさらに母親のすごさを知ることになりました。
それは亡くなる3日前に「もし自分に万が一のことがあったら、この箱を開けて見てね。」と言われていたんです。
亡くなってからの手続きはいろいろと大変なわけですが、その箱を開けると、葬儀のことから、遺影に使う写真、お金のこと、手続きに必要なことすべてがノートに書かれていたんです。
そして、そのノートには「本当にありがとう。」と感謝の言葉が添えられていました。
それを見て、なんだかグッとくるものがあり、涙が出そうでした。
ただ、最期の時間、一緒にいられて、いろいろと話せたので親孝行もできたのかな、とも思っています。
そして、葬儀も無事終わり、母親のベッドの周りを片付けていたら、いろいろなことが綴られたメモがありました。
そこには、こう書かれていました。
できぬこと 一つ二つと増えるとも寂しさ抱き 心静かに
母自身、自分の中ではいろいろと考えるところがあったのだと思います。
それを表に出さず、いつでも、どこでも、誰にでも優しく笑顔で接し、一方で誰にも迷惑をかけないようにする強い母親。
あなたの子供に生まれてきて本当に良かったと思いつつ、感謝の気持ちでいっぱいです。
これからこの命の使い方、つまりは時間の使い方が、母親への感謝になると思っています。
合掌。
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