DX(デジタルトランスフォーメーション)では当たり前の基準を高くして、当たり前できるようにすることが必要。

投稿者: | 2021年8月6日

DX(デジタルトランスフォーメーション)では当たり前の基準を高くして、当たり前できるようにすることが必要。

DX(デジタルトランスフォーメーション)では当たり前の基準を高くして、当たり前できるようにすることが必要。

DX(デジタルトランスフォーメーション)化をしていて思うことは、「”当たり前”をそろえて、”当たり前”にする!」ことが大事だよなぁというもの。

  

よく感じるのは、当たり前をそろえていないで、みんなが好き勝手のを当たり前をしているから、DXが進まないんです。 

 

ボクはDXの名の付く部署で仕事をしているので、デジタルを前提にしてビジネスを組み立て運用を考えます。

(とは言え、ボクはB型体育会系のアナログ人間。デジタル思考は持ち合わせておらず、ザックリでしか考えられませんが。。。)

 

ただ、良くも悪くも、DX化する前の状態でよくあるのは、長年の歴史の中で出来上がったローカルルール的なものが存在します。

 

例えば「パターンAの場合は、対応策Bで対応する」というルールがあったとしましょう。

ルールが”当たり前”になるわけですが、場合によっては対応策Cにしたり、対応策Dにしたり、オリジナルの対応策Fにしている人もいれば、対応策B+対応策Gにする場合もある。

 

これは、そのルールを変えてより良くしようと、その時の状況やそれぞれ自分の一番都合の良い方法を選択して、最適化したくなるから。

前向きに「効率化をしよう!」、「生産性を上げよう!」と良かれと思ってしたにもかかわらず、自分のところでルールを変更すると、その後の処理に影響が出てしまうこともあるんです。

 

本人には悪気は無いんですし、より良くしようとしているのですが、業務においてはルールを守るのが当たり前だし、ルールを変えるならば周知をするのが当たり前ですが、その当たり前をしないがゆえに、結果的にルールが入り乱れてしまい、困った状況になってしまいます。

 

デジタル化をするには、どうしてもルールが必要になります。

その場の思い付きというのは取り入れられないし、決められたルールを急に変更したりできません。 

 

これ、難しいところですが、ルールを”当たり前”の基準で高い位置にそろえて、その基準の”当たり前”を”当たり前”にする必要があります。 

 

うーん、”当たり前”、”当たり前”って書いていたら、”当たり前”という言葉にものすごく重みを感じてきました。

 

 

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