#772 ”四十にして惑わず”とは、”惑うことに惑わない”ということである。
こんにちは。コジマです。
ブログのサブタイトルを「40歳からの”つくる”を考えるブログ。」にしました。
ボクは、今年40歳になります。
最近、40歳というひとつの節目を意識し始めました。それは、今まで「はあ、40歳か。人生半分だし、このまま何となく50歳になってしまうのかなあ」と思っていましたが、周りの40代のみなさまがあまりにもアグレッシブで人生を楽しそうにしているので、自分もそういう40代になりたい!と思うようになりけど、どうしよう??と思ったのがきっかけです。
今の若造な自分には、不安や惑いがありまくりです。29歳から30歳になるときも「もう30歳か。。。もっとしっかりしなきゃな。」と考えていましたが、39歳から40歳になる今は、「やべ、30歳のときとあんまり変わってないじゃん、自分!」と焦りさえ覚えます。
あの、、惑いまくりですけど、何か?
子曰く、「四十にして惑わず。」
四十を目の前にして、思いました。「・・・オレ、惑いまくりじゃん。」
「四十の誕生日を迎えて、ローソクの火をフーッと消したら、アラ不思議、全く惑わなくなった~!なんて風に、いきなり惑わなくなるのか??」と聞かれれば、きっとそんな訳はありません。
日々、いろんな問題や不安と向き合いながら過ごしていますが、それが40歳の誕生日を迎えたからといって、何かがガラッと変わることはありません。
では、勤続年数を重ねれば、惑わなくなるのでしょうか?
他にも、役職が上がれば、惑わなくなるのでしょうか?
きっと、いつになっても、そのステージでいろいろと惑ってしまうのでないかと不安に思う自分は、本当にまだまだ未熟です。
何かをすれば、惑わなくなるのか?
では、何をすれば惑わなくなるのでしょう?
結論からいうと、「これさえすれば惑わなくなる!」なんていう魔法は、きっとありません。40歳を手前にして、何となく見えてきたことは、逆転満塁ホームランみたいな一発で大逆転できるような場面は無いということです。
例えば、宝くじが当たっても、惑いは無くなりません。
宝くじは、一見すると、人生が変わる逆転満塁ホームランに見えるかもしれません。
確かに宝くじが当たれば、経済的な不安が無くなるかもしれません。しかし、新たにそのお金を狙って近寄ってくる人が原因で人間不信になったり、その資産を守ろうとするところから始まる新たな不安が出てきます。
宝くじが当たったことで、働くことをせず、社会との接点を減り、社会性が低くなり、孤独になってしまう可能性もあります。
宝くじで自分を取り巻く状況は変わるかもしれませんが、それは惑いや不安の質が変わるだけです。
宝くじが当たった時点から先の環境の変化で自分がどう感じ、どう自分に取り込み、どう自分をカタチ創っていくか、そう、自分の軸が問題です。
惑うことに惑わない。
今の自分は、惑いまくりですが、惑うことが悪いというのではなく、そういったことから目を逸らすことをやめ、惑うことを知り、惑うことに向き合うことができる四十歳でいこうと思います。
言ってみれば、惑うことに惑わない。
惑うのは仕方ないので、3ノットでもいいから、少しずつ動くしかないんだなということです。「惑わず」とは、惑うことに能動的に働きかけるようにするということだと解釈しようと思います。
能動的に動くことによって、惑うことは、さらにたくさん出てきます。
だからこそ、その惑いを楽しむような40歳を自分でつくっていけば、おもしろくなるんじゃないかな~と。
そんなことを思ったので、ブログのサブタイトルを変えてみました。
あなたの「惑わず」とは、どんな意味を持ちますか?
★近況報告★
今日も雨のため、子供たちとお台場へ。とっても空いてて快適でした。
1日1新:お台場メディアージュ。
1D1A:マネジメントの勉強。
今日も一日感謝です。