日々の仕事における「当たり前」が、大きな差につながります。
仕事をお願いするときに。
例えば「この数字、調べて報告してね。」と仕事をお願いしたとき。
その仕事をどうこなすかを見ています。
数字を調べて報告するだけなので、大した仕事に感じないかもしれませんが、その仕事のやり方や報告においてのいくつかの要素を見ています。
そして「この人は安心だから、任せて大丈夫だな。」と思える人には、ドンドン仕事をお願いするようにしています。
その仕事が何につながっているのか?
では「仕事を安心して任せられる人」には、どういう要素があるのでしょうか?
基本的な返事や報告タイミング、スピード感はもちろんですが、ボクは「自分で考えてみて、+αを入れているかどうか?」です。
社会人として仕事をしているならば、この類のことは一度は聞いたことがあると思います。
先の例の「その数字を調べてね。」とお願いしたとき。
その数字を調べて報告するのは、調べ方さえ知っていれば難しくありません。
しかし、そのとき「言われた数字をそのまま報告するだけなのか?」、それとも「自分なりの視点を入れて報告してくるのか?」では小さな差ですが、その積み重ねは挽回しようがない大きな差になります。
自分なりの視点を入れるとは?
「数字を調べて報告する。」、なんてことのない仕事に見えるかもしれません。
しかし、その数字を知りたいということは、何かしらの兆候を知り、判断材料に使うということです。
ならば、その数字を調べた結果に対して、自分なりに考えてみて、仮説を立てることもできます。
考えてみることは、大したことではありません。
大したことではありませんが、毎回考えている人と、毎回何も考えない人では、とてつもなく大きな差になります。
なので、ボクは数字を報告してもらうときに「この数字を見て、どう思った?」と聞くようにしています。
「自分なりの仮説を立てて、考えてる?」というメッセージを発しているんです。
それに対し、何も考えていなくて答えられなければ「この数字を使って、こういうことを考えているんだけど、どう思う?」と聞くようにしています。
そこで何かしらの視点に気が付いて、次に仕事をお願いしたときに「自分で考えてみること」が”当たり前”になってくれるといいなと思っています。
自分はできていませんでしたので、余計にそう思う今日この頃です。
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