#689 悔しさの裏側。
こんにちは。小嶋です。
「古河はなももフルマラソン」から一日。一緒に走ってくれた仲間、休日に送り出してくれる家族に感謝するともに、改めてサブ4達成ができなかったことの悔しさがゾワワっと込み上げてきました。レース中は、「なんで、オレはこんな天気のいい日に苦しい思いをして走っているんだ???」という思いが何十回、何百回と湧いて出てきましたが、不思議とゴールをすれば「フルマラソンに挑戦してよかった!」という気持ちの方が強くなります。
ボクが尊敬と嫉妬をしているDe部主将がおっしゃっていたように、割合でいくと、99.5%は辛くて苦しいのですが、残り0.5%にその苦しさを駆逐する大いなる充足感や喜びがあります。
しかし、結果は4時間33分。何度もいうようですが惨敗です。その悔しい思いはとても大きく、仕事が手につきません。
▼魔法使いが現われて。
今回のレース。前半は押さえて目標通りの展開でしたが、中間地点を超えて、30K付近でガクッと足が前に出なくなりました。そこからは情けないことに足がつり、意識が朦朧とし、吐き気が止まらなくなりました(レース後も何度となく吐き、帰りの古河のトイレで1時間籠る始末。あろうことか、今日の朝の体重は、な、な、なんと77k。1日で5.5kgやせました(笑))。そんなときにアタマに浮かぶのは「なんでこんなことやってるんだろう??」ということ。そして基本的に怠け者の自分は、「魔法使いでもきて、エイッとゴールまで連れていってくれないかな~」というアホな妄想が浮かびます。
しかし、実際に魔法使いが現れて、「よく頑張ったね!ご褒美にゴールまで、スリムにしてあげて、パワーアップしてあげて、サブ4を達成させてあげるよ。」と言われたらどうでしょう?
▼自分でやるからおもしろい。
魔法使いにこんなことを言われて、サブ4達成したらどうでしょう?
全く面白くありません。この苦しさから解放されて楽にゴールできることは、瞬間的にうれしいかもしれませんが、ゴールしたあとの0.5%の喜びや充足感はありません。
自分が積み重ねてきた努力、そしてレース中に自分の実力に向き合い、悔しくて、情けなくて、弱い自分に出会い、それでも何とかしようというほんのちょっとだけ強い自分に出会い、、、そんな積み重ねが自分を少しだけ成長させてくれるのだと思います。
サブ4は目標ですが、魔法使いに手伝ってもらって叶えても、自分の中でモヤモヤがたまるだけ。何の意味もありません。自分でやり切るからこそ、その経験が血となり、肉となり、自分が少しだけ成長できるのだと思います。
▼結果よりも取り組む力。
自分が積み上げた練習があるから悔しいと思うのであって、何ら努力をしていなかったら「悔しい」とは思いません。
「悔しい」という気持ちは、決して気持ちのいいものではありません。しかし、この気持ちは、努力をしなければ出会えない気持ちです。中途半端にやっていても、本気でやっていない努力の先には、「悔しい」という気持ちには出会えません。
逆に、達成したら、その努力があるからこそ充足感が10倍にも、100倍にもなります。
つまり、自分で積み重ねた努力の分だけ、悔しいとか、嬉しいという気持ちが膨れ上がる訳です。
結果に対する悔しいという思いは、嬉しいという気持ちより嫌なものですが、その思いの裏側にある価値があるとするならば、そこには同じだけの価値があるのだと思います。いや、もしかすると、悔しいという思いの方が、次へのモチベーションが強くなる分、価値があるのかもしれません。
とすると、結果よりも、どれだけ自分が取り組むかが大切な訳です。
結果は結果で大切です。
しかし、挑戦する気持ち、それに対して取り組む姿勢が、結果が出た時の思いを何倍にもしれくれるエッセンスであり、一番価値のあるところです。
ボクのこの強くて憎たらしい悔しい!!という気持ちは、ある意味自分なりに懸命に取り組んだ結果です。そこだけは、自分を褒めてあげようと思います。
今回の惨敗をポジティブにとらえてみました。(言い訳)
★近況報告★
今日は、ひとつひとつの動作が通常の1.5倍かかりました。
1日1新:抹茶クリームフラペチーノ。
1D1A:W社 在庫管理表見直し。
今日も一日感謝です。