「〇〇がないから、できないないな、これ。」
自分のアタマの中にその言葉が浮かんだら、速攻で消しにかかります。
「できない」と考えることは、知的怠慢でしかないからです。
ボールひとつで。
小学生は、ボールひとつあれば楽しそうに遊びます。
サッカーなり、ドッチボールなり。
そして何となしに、”みんなで楽しく”遊ぶために、その場所や集まった人にあったルールを作ります。
「この木から木の間がゴールね」とか、「このスプリンクラーからあっちのスプリンクラーまでがこっちの陣地ね」とか。
ボールひとつあれば、あとは勝手にいろいろ決めて、楽しそうに遊びます。
ぐちぐち言う子はいない。
逆に、こんな子供たちがいたらどうでしょう?
「サッカーゴールがなければ、サッカーできない。」とか、「白線をちゃんとひかないと、遊べない。」なんて言い出す子。
そんなことを言う子は見たことありませんが、仮にそんな風に「〇〇がない」という制約に囚われて何もできない子は、あまり楽しくない時間を過ごすことになります。
オトナはどうでしょう?
このように「〇〇がないから」という制約に囚われて、何もできなくなる人は、ものすごく多いです(自分含む)。
予算がない、上司の理解がない、人材がいない、時間がない、などなど。
無いことばかりを考えるのはいいけれど、そこから「どうやって遊ぼうか?」を考えるのが仕事につながるわけです。
つまり、そうした制約があるからこそ、自分のアイデアが試されていると考えることが大切です。
社会は小学校ではないので、すべてをお膳立てしてくれることなんてありませんもんね。
●お知らせ
新サービスを思いついたので、試しに始めました。
こういう悩みを持つ方、結構いらっしゃると思います(っていうか、自分がそうだったので)
◆近況報告◆
今日は、いろんな打合せなど。
1日1新:なし。