ふと、思いました。
自分は、なぜ貴重な時間を使ってブログを書いているのか?
今まで何度も考えてきたけど、改めて考えてみました。
ドラッカー氏の言葉に。。
ドラッカー氏の言葉に、こういう内容のものがあります。
私が13歳のとき、宗教の先生が「何をもって憶えられたいかね」と聞いた。
誰も答えられなかった。
すると「答えられると思って聞いたわけではない。
でも50歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ」といった。
私は、いつもこの問いを自らに問いかけている これは自己刷新を促す問いである。
自分自身を若干違う人間として、
しかし、なりうる人間としてみるよう仕向けてくれる問いである。
運のよい人は、若いころから誰かにそう問いかけられ、
一生を通じて自らに問い続けてゆくことになる。
どうでしょう。
50歳になったとき、今のあなたはこの問いに答えられる自信はありますか?
自分が何をしたいか、毎日考えざるを得ない。
ボクがこう聞かれたら、「自信ありません!」と自信をもって答えられます。
今のまま、同じような生活や仕事を続けていても、なんとかなるのかもしれませんが、この問いに答えられるようにはなりません。
というのが、ブログを書く前の自分。
しかし、ブログを書き始めてもうすぐ1700日。
ブログを書く以前よりかは、ほんの少しだけ答えられるような気がしています。
それは、雨が降ろうが、風が吹こうが、とにかく「何を書こう?=自分は何が書けるんだろう?=自分は何が書きたいんだろう?=自分は何をしたいんだろう?」と毎日無理やり考える時間を取っているからなのかもしれません。
ブログを書いていると、自分に問い続けることになる。
ということで、毎日ブログを書くことで、自分のやりたいことを言葉にすることになります。
すると、誰かと話していたり、打合せをしているときなど、ふとしたときに想いが言葉になって出てきます。
その言葉に厚みというか、重みというか、言い切れる自信というか、そういったものが乗ってくると、ちょっとだけ「あれ?あいつ、あんなこと言うやつだっけ?」みたいになります。
それが積み重なってくると、何かをお願いされることが増えたり、発言の影響力が出てくるようになり、いろんなところにアサインされるようになってきます。
すると、仕事の幅が広がり、関わる人も増えて、仕事を主体的にまわせて、自分で仕事をおもしろくできる人になれる可能性が出てきます。
なので、これからもブログを書く=毎日問い続けるを続けていけば、それまでのように何も考えないのでお気楽に過ごしているより、だいぶマシだと思っているんです。
それが、毎日ブログを書く理由のひとつです。
◆近況報告◆
今日は、役員打合せなど。
1日1新:なし。