ツマノミクスの奥義とは、なんだろう。
常にそんなことを考えていますが、先日の朝、ふと気がついたことがあります。
洗濯物のセグメント。
我が家は、洗濯は別々です。
そのセグメントは、ボクとヨメ・子ども達の2種類。
つまり、ボクだけ別ということです。
で、いつものように自分の洗濯をして、こんな感じ↓の室内物干し竿みたいなものに干しておきました。
そして、会社へ行くのに靴下を履こうと思ったときにクローゼットに無いことに気が付きました。
洗濯して、干したまで良かったものの、そのままたたむのを忘れてしまったんですね。
なので、その部屋に靴下を取りに行ったら、ボクが洗濯した靴下やパンツが見当たらないんです。。
ジャイアンに追いやられたのび太の如く。
会社に裸足で行くわけにもいかないので、「はて、困ったな。。」と思って、辺りを探していたら、何やら部屋の隅にクシャクシャの山。
「ん?」と思って近寄ってみると、そこには洗濯したボクのパンツや靴下が追いやられています。。
その代わりに、物干し竿には、もう一つのカテゴリーの洗濯物が陣取っていました。
どうやら、物干し竿の一等地を陣取ってしまったが故に、ジャイアンが公園の一等地で遊ぶのび太を追いやるかの如く、ボクの靴下やパンツたちも追いやられてしまったようです。
ツマノミクス奥義を再認識。
ここで、反射的に思ってしまうわけです。
「おいおい、たたんでおいてくれたり、一言言ってくれれば自分でたたむし、クシャクシャにして部屋の隅に追いやるのはヒドいよね。」と。
そして腹が立って、ケンカになって、一日気分の悪いままで過ごすことになり、自分の小ささにさらに苛立ってしまいます。
なので、ここで深呼吸し、新たな仮説を立てました。
その仮説とは、「それを娘がやっていたらどうか?」ということ。
もし娘がやっていたとしたら、「しょうがいないな。自分で洗濯物をしようとチャレンジしたけど、オレのパンツが邪魔してたか。。娘よ、ゴメン。よく頑張った!」と、逆に元気をもらえます。
そう、つまり、カワイイと思っている人ならば、腹が立たないんです。
思えば、ヨメと出会って間もない頃は、それが自然とできていたはず。
何をされても、何をしていても、新しい発見ばかりで、全てが可愛く見える。
そこでハッと気がついたんです。
ツマノミクスの奥義は、すべてをカワイイと思うこと。つまりは、愛だと。
洗濯物をクシャクシャにされても「カワイイ、カワイイ、カワイイ、カワイイ、カワイイ・・・」と100回くらい唱えていると、もしかしたら「そういうところも、カワイイんじゃね?」と思えてくるかもしれません。
ツマノミクス奥義、カワイイ百烈拳、使ってみてください。
◆近況報告◆
今日は、終日コンサルさんたちと打合せです。
1日1新:なし。