マーケティング調査の資料を見ながら会議室でウンウン言っている場にいて、いつも思うことがあります。
それは、「その資料に影響されすぎてない?」ってこと。
なぜマーケティング調査に躍起になるのか。
会社では「とりあえずやってみて、反応見てから考えようか」というフットワークの軽い進め方は、なかなかできません。
何をするにも、リサーチして、まとめて、報告して、検討して、承認を取って、、みたいな。
ま、それはそれで仕方ないのですが。
しかし、そももそ、なぜ、マーケティング調査をするかといえば「客観的な視点が欲しいから」です。
例えば、「30歳の女性向けのラッピングを一新したい。」となったとします。
ボクみたいなオッサンが「30歳前後の女性の感覚」はつかめませんから、客観的な「30代女性の声」を知りたいわけです。
オッサンの勘より、客観的な資料を元に施策を組んだ方が、当然確度が高いと考えるからです。
大事な前提が吹っ飛んでいる。
しかし、ここで大切なことがあります。
例えば、その調査で「30歳の女性は、赤が好き。」という結果が出たとします。
そのとき「うん、では、今回のラッピングは赤でいこう。」となります。
一見最もなように聞こえますが、ここにはとても大切なことが隠れています。
それは、”アンケートに答えてくれた30代女性”と”アンケートにあった中の赤”いう前提です。
なので、もしかすると、アンケートに多くの答えてくれなかった人は青がいいかもしれないし、赤でもピンクに近い赤なのかもしれません。
何が言いたいかというと、資料にまとまっていると、さも「それがすべて」みたいになり、自分たちの感覚や感性で見ようとする隠れた本質が見えにくくなるということです。
自分の感性を磨いておく。
もちろん、調査結果を使うことが悪いということではありません。
個人的には、調査結果”だけ”で判断することをしないようにしているという話です。
調査結果を見てだけでうまくいくなら、世の中、うまくいっている人だらけですし。
うまくいかないことが多いということは、多くの人がやっている「調査結果だけ」で判断しているのは、何かが足りないのではないでしょうか。
なので、自分で調べて、感じて、人に話を聞いて、感覚を磨いておくことが必要なのかと思うわけです。
調査資料は、その感覚から生まれたアイデアを社内で通すための「資料」に使うくらいがいいのかと思います。
客観的な資料は、とても大切です。
しかし、その資料をそのまま使うのではなく、そこに自分たちのセンスを掛け合わせることが必要です。
◆近況報告◆
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