大したことではないけれど、大したことだと思ったことがあります。
電車の中での出来事。
先日、ちょっと急いでいたときのこと。
出発直前の電車のドア付近で、北斗の拳のカサンドラのライガとフウガのごとく仁王立ちしている中へ「すみません!」と言いながら押し込んで入りました。
そのときにライガ風のお方に少しぶつかり、舌打ちされ、明らかに押し返すように肩をぶつけてきます。
ボクもそれくらいのことでイラッとする小粒な男でもありませんので、足を踏み返す程度で応戦しました。
同じような事象で。
同じように、朝の電車で急いでいたときのこと。
同じように出発直前の電車のドア付近で、北斗の拳のカサンドラのライガとフウガのごとく仁王立ちしている中へ「すみません!」と言いながら押し込んで入りました。
しかし、そのライガ風のお方は、自ら門を開け放つかのごとく、入れるスペースを空けてくださいました。
ボクは感動し、何度もお礼をいいました。
その反応を積み重ねた結果の影響は?
ということで、同じような場面で、キレる人に出会い、相手を慮る人に出会いました。
キレる人を見て「ああ、この人は素晴らしいお人だ。」と感じることはなく、相手を慮る人を見て「ああ、相手を慮るなんて、なんてムカつく人だ。」と思うこともありません。
ここで思うに、キレた人はどんな場面でもキレて周りに不快な思いをさせているだろうし、慮る人はどんな場面でも相手の立場を考えて周りに良い影響を与える人だと想像できます。
そしてその反応の積み重ねが、周りの人との関係性や出来事に大きく影響していることとはわからないも
その人が意識しているかはわかりませんが、キレる人はキレるし、慮る人は慮る反応の傾向が強まるように思います。
厄介のなのは、反応のクセは治りにくく、自分では気がつきにくく、当たり前だと思ってしまう性質を持っているということ。
ちょっとした反応は、大したことがないようで、大したことがあるんです。
・・・その前に、ボクが余裕を持って空いているドアに乗ることを心がけます。
◆近況報告◆
今日は、息子サッカー、サシモニ、大掃除など。
1日1新:オーパス夢広場サッカー場。
人見知りなボクですが、お気軽にコンタクトしてください。
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